2004年10月のDIARY
う〜っ!ライブ初日だ〜! 2004.10.30
 今日は久しぶりのライブ! いつもライブの時など、留守番を頼んでいる羽鳥君達がもうすぐやってくる。ハッピーとラッキーも、もうすっかり慣れて羽鳥君達が来ることを告げるとシッポを振って喜んでいる。様子が分かっているようである。(笑)・・・
 この日は初めての2 Days Liveの初日だということもあったが、僕にとってもう一つ大きな意味のある日でもあった。それは娘が子供をつれて初めて僕のライブを見にきてくれた日であり、初孫との御対面という記念すべき日となったからである。

  ♪ 佐藤 博 ♪
メンバー紹介(3)渡嘉敷祐一 2004.10.24
 3人目の今日はこれまた大好きなDrums渡嘉敷祐一君です。彼もいろんなアーティスト達のサポート・メンバーとして活躍している。ほんの少し例を挙げると鬼束ちひろ、ケイコ・リー、GONTITIといった人たちである。
 彼との出会いも20年以上前とかなり古い。僕のあやしい記憶をたどるとこうである。もう今はなくなっているそうだが、通称"ロクソ”(六本木ソニー)と呼ばれるレコーディング・スタジオがあった。そこで吉田美奈子がレコーディングしていた。いわゆるリズム録りというやつである。僕はたまたま別のプロジェクトで、六ソの中にある他のスタジオに来ていて、早く終わったか何かでスタジオを覗いたのである。そこで録り終えたばかりのテイクを彼女達と一緒に聞いていて、おもわず僕は「このドラム誰?」と聞いたのだ。彼女はにこっとして「良いでしょう!渡嘉敷君て言うんだ。」と、自慢げに教えてくれた。僕も「うん、いいね!」と。これが彼を知ったきっかけだった。まだリズム録りがつづく事もあって、彼は他のメンバーと一緒にブースの中で聞いていた。僕も急いでいたこともあってその時は特に挨拶もせずにその場を辞した。
 それからしばらくして、同じアルバムだったかどうか記憶が定かではないが、やはり吉田美奈子のレコーディングで一緒にプレイして以来のつきあいということになる。
 僕はドラマーを評価するとき、フレーズの豊富さや派手なテクニック、手数の多さはあまり問題にしない。それよりはるかに重要なのが、Kickつまりバスドラのリズムの安定感である。そして、上半身と下半身の音のバランスが、ピラミッド型のようにバスドラを中心に音像が安定しているかどうかという点。これが出来ているドラマーは日本ではほんの数人いるかいないかである。渡嘉敷君はそれが出来ている数少ない日本を代表するドラマーだと思う。ほとんどのドラマーは手でタイミングをとり、上体中心のリズムを刻んでしまっている。その結果バスドラのタイミングが遅れがちで、バンド全体のキメが甘くなり、しまりのない演奏になってしまうわけである。う〜ん、熱くなってきたぞ!
 ま、とにかく彼の"BAD JANKY BLUES"のドラミングを見るだけでも価値がある。そういえるくらい素晴らしいグルーヴを彼は叩きだしてくれるのだ!
 
 ♪ 佐藤 博 ♪
メンバー紹介(2)今 剛 2004.10.16
 二人目の今日は大好きなギタリスト、今剛君を紹介しよう。僕が紹介するまでもなく、彼は井上陽水や今井美樹、宇多田ヒカルといった人たちのサポートメンバーとしても活躍しているので、知っている人も多いことと思う。
 僕と彼との出会いはかぬぁ〜り前だ。どれくらい前かというと軽く四半世紀を超えようとしているから驚いてしまう。僕の記憶に間違いなければ、1978年頃だと思う。ちょうど僕はアルバム”ORIENT"のRecordingをほぼ終え、Mixのため伊豆にあるキティのスタジオに滞在していた。そこでDRの林立夫君が「素晴らしいギタリストがいるよ!」と言って、紹介してくれたのが今剛君だった。比較的無口な僕らはあいさつもそこそこに、いきなり二人でセッションを始めた。スタジオ内にある小さなリハーサルルームでのことだ。セッションと言うより僕は彼のプレイに聞き入りながら、時々合いの手を入れるといった感じだった。そして心の中で【むむ無夢六〜!おぬし、できるな!】などと感じていたわけである。
 そして、翌年の1979年、たしか南佳孝君のアルバム”Speak Low"だったと思うが、僕がアレンジした曲に初めて参加してもらったと記憶している。その後も、僕のアルバムや僕が関わるプロジェクトに、何度となく登場してもらっている。中でも"ordinary"や"約束"は特に印象に残っている。
 ♪ 佐藤 博 ♪
メンバー紹介(1)奥沢 明雄 2004.10.12
 今日からBlue Jay Wayで一緒にやるメンバーを順次紹介していこうと思う。まずは今回Ac.Gt&Vocalで初参加してくれる奥沢明雄君から紹介しよう。
 もう5,6年前のことだが、新宿ロフトでちょっとしたイベントがあった。カントリー系ロックバンドのラスト・ショウやセンチメンタル・シティ・ロマンスといった懐かしい面々に会えるということで、山弦の佐橋君に誘われ何十年ぶりかで新宿ロフトへいったわけである。その時、そのイベントに出ていたのが、奥沢君たちがやっているテキーラ・サーキットというアコースティック・ギター中心の男性3人によるコーラスグループであった。彼等の演奏を聴いて僕はいっぺんに好きになり、いつか一緒にやりたいねなどと話していたのだ。これが僕が奥沢君を見初めた・(気持ちわりぃ!)きっかけなのである。
 そんな奥沢君はBASSのMIKEとカントリー系バンドでよく一緒にプレイしているというから、世間は狭いものですね。

♪ 佐藤 博 ♪
 
∞/1 2004.10.02
 イチローやりましたね!2004年10月2日、259号!
つづく・・・・

 ♪ 佐藤 博 ♪
1/∞ 2004.10.01
 このところ、なかなか日記が書けないでいる。それは10月のライブのリハと、その時発表するCDのレコーディングにどっぷりはまっているためである。どうも僕の脳は、映像や音楽に集中していると言語分野になかなか意識がいかない造りになっているようだ。働かないと言うよりは、音楽に脳が専有されてしまっているという感じ。この事は対言語だけではない。音楽に集中しているときは映像の方にもあまり意識がいかなくなる。逆に映像に集中している時、今度は音楽にいかなくなるのだから、いやはや、である。
 さて、今日はその意識を持って行かれるMIXについて書こう。 "白いさんご礁”の制作過程については、以前この日記の"カルトP"やSTUFF DIARYでも触れているので、ここでは割愛する。
 一般的にMIXやマスタリングは、エンジニアと呼ばれる人がやることが多いが、僕はいつも「こんなに重要でおいしいところを他人任せに出来るか!」とばかり、自分でやってしまう。どうしてMIXやマスタリングがそんなに好きかというと、それは、歌うことや楽器プレイ上の技術的なこと、理論的(音符、音域、コード等)なことから解放され、一人の聞き手として能動的に楽しめる点にある。それだけではなく、MIXやマスタリングにはエンジニアとしての要素は勿論のことだが、それ以上にオーケストラで言えば、コンダクター的要素の方がはるかに重要だと考えている。そこがまた好きと言えるゆえんだ。また僕は、ミキサー卓やコンピューターのソフト等は、音楽を表現するための楽器の一つであり、一つのプロセスと考えてきた。だからMIXやマスタリングは、歌うことやキーボードを演奏することと基本的には何ら変わりないわけだ。
 僕はいつも20〜30テイクのMIXを作る。さらに、それらの中から10テイクほど選び、シチュエーションや時間帯、CDプレーヤー等を変えて聴く。そして2〜3テイクに絞り込み、それぞれのテイクをマスタリングするのである。
 マスタリングはマスタリングでまた20テイクほど作る。さらに数テイクほど選んで、またシチュエーションや時間帯を変えて聴くわけである。そして、それらの中から最終的に一つ選んだものがCDになるというわけだ。それでも、数日たって聴くとまた新たなアイデアが浮かぶことがある。MIXを一からやり直すということもしばしばなのだ。
 どうして、そんなにたくさんのテイクを作るかというと、作業の過程自体が楽しいというのは勿論なのだが、一番大きな理由は客観視するためである。この客観視するというのが、音楽に限らず実は一番むずかしい事かもしれない。だから人は旅に出たり、本を読んだり、映画を見たりして、いつもと違う時間と空間のなかで自分を捜そうとするのかもしれない。
 僕のように、曲作りやアレンジ、演奏&Vocal、そしてMIXといった具合に、一番至近距離で自分の作品と向き合っていると、その客観視のための時間が必要であり、また重要になってくる。制作作業そのものより、そっちにはるかに多くの時間を費やすことになるのは、だからなのだ。
 あらゆる試行錯誤の中から選ぶ、無限大分の1の宝探し。MIXの醍醐味はそこにある。考えてみれば、誰もが生まれながらにして持っている無限大分の1の宝がある。それは命。
   
♪ 佐藤 博 ♪

 
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